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 ロマンチック街道、古城街道を360キロ南下しながら観光をしたわけですが、記念行事を少し振り返ってみたいと思います。
 ドイツでは普段の稽古は1時間単位だそうです。海外ではほとんどがそのようです。実際私が行って指導する時にもだいたい1時間単位です。金・土・日のセミナーで8時間~10時間の稽古日程が組まれているのが普通です。ただ、平成19年にブラジルに行ったときにはさすがに度肝を抜かれました。木・金・土・日の3泊4日の講習会を組んでいましたが、水曜日の夜に合宿所に入り、木曜日のまだ暗い午前6時に開会式、その後5回の稽古、金曜日は6回、土曜日は午前中2回の後、午後はお別れパーティ、日曜日は審査という段取りでしたが、木金土の2日半で13時間の稽古です。それも全員参加です。日本の講習会を例にとると、ほとんどが、土曜日の午後から始め1時間半~2時間、夜懇親会、翌日曜日の午前中1時間半~2時間という日程が一般的です。多くて4時間少ないと3時間です。
 外国と日本の違いは歴然としております。もちろん外国では日本人の高段者が指導に来てくれるというので特別に多くの時間を取っているのかもしれませんが、体力的に日本人と外国人の差に圧倒される気がするのは私だけでないでしょう。
 話を元に戻します。ドイツでは通常稽古は1時間単位。このような講習会では2時間30分単位となっているそうです。ですから3~5日の金・土・日の5回の講習会で12時間30分です。しかも2時間半の間に休憩はなし。途中で水も飲まさせないということです。今時日本でも通用しないようなやり方です。一昔前の私たちが明大で稽古していたやり方をドイツでも踏襲しております。浅井先生らしいといえばその通りですが、よく西洋人が浅井先生のやり方についていくものだと不思議に思いました。
 演武会でも、浅井先輩から白川お前日本人のトップで演武しろとの命令です。
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 受けは私と同行の村上さんでは無理なので、どなたか受けを貸して下さいとお願いしましたが、講習会でお前が気に入った者を見つけ誰でもいいから受けに使えと言われるのです。誰でも使えと言っても言葉も通じませんし、誰にお願いしていいのかも分かりませんが質問は出来ません。演武は何分すればいいのでしょうか?と尋ねたのですが、そんなものお前の好きなようにしろ、1分でもいいし10分でもいい。「お前に任せるから好きにしろ」というのです。一番困ることです。一方的な命令口調。何歳になっても明大合気道部の先輩・後輩の関係は変わりません。因果なことですが、浅井先輩らしいと思いながら妙に納得している自分がそこにいました。部外者には到底理解できないことだと思います。そのような経緯で研心会の畑山先生が濱英之3段を受けに貸して下さったのです。一人ですから受けの人が疲れたら止めようと思いながら、日本人トップで演武をさせていただきました。
 さて、観光の話に戻りましょう。
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 ミュンスターを出発したバスは南下を続けます。最近は便利なものでホテルのWi-Fiを使うと日本の新聞も読めますし、ニュースも見られます。世界の気象・気温もOKです。南下するのですから当然気温は高くなると思うのですが、調べると何故が低いのです。南に行くほど低くなっています。不思議に思ってガイドさんに訳を聞きますと、南に進むとアルプス山脈に近づき標高が高くなるので気温が低くなるのだと説明されて納得いたしました。ハイデルベルグに近づくに従い雪化粧が窓越しに見られました。ハイデルベルグ城などを見学の後、東へ古城街道を100㎞、ちょうどロマンチック街道と交差する位置にある城壁で囲まれた中世の町といわれるローデンブルグに到着。外敵から町を守るためになるほど周囲は城壁で囲まれています。その城壁に上ってぐるりと回ってみました。その日はローデンブルグに泊まり、次の日はノイ・シュバンシュタイン城の見学でしたが、ローデンブルグの庁舎のからくり時計と市長が町を救った話、ノイ・シュバンシュタイン城ではロバの馬車がいたという以外全く覚えていませんでした。
 無理もありません。最近は昨日何を食べたか思い出せないのに20年前のことを覚えているはずがありません。私は5年日誌をつけていますのでこのブログを書くために改めて見直してみました。行く前に見ていけばよいのにと思いながら…。
 20年前に全く同じコースを観光したと思い込んでいましたが、日誌を見てびっくり。
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 日誌には、フランクフルトにまず降り立ちデュッセルドルフまでバスで約2時間かけて移動。デュッセルドルフで講習会と演武会、祝賀会を開催。その時には二代道主吉祥丸先生と小林保雄先生の講習会がありました。その後吉祥丸道主が体調を崩され最後の海外指導となってしまいました。その点に関してはよく覚えておりますが、観光に関してはほとんど記憶がありません。午後10時過ぎにやっと暗くなり、朝5時過ぎには早薄明るいと記しています。記念行事が終わって観光に出たのですが、この時はユーロではなくまだマルクの時代でした。
 ケルン市内、ボン市内、ドイツの地下鉄に乗り、鉄道に乗り、旧貴族邸などを見学。
 その後、デュッセルドルフからミュンヘンに飛行機で移動。ミュンヘンからバスで北上、590km走って疲れたと書いてありました。今回の逆コースでロマンチック街道を北上したようです。ノイ・シュバンシュタイン城、ローデンブルグ、ハイデルベルグ城などを見学してフランクフルトまで、フランクフルトの市内見学で、旧庁舎周辺、中世の面影を残した建物、ゲーテの生家、デパートを見学と書いていましたがほとんど記憶にありません。
 今回の観光もやがてきれいさっぱり忘れてしまうことでしょう。とにかくドイツ合気会50周年記念行事に村上さんと参加し、研心会の皆さん21名の方を含め23名で観光したということだけの記憶に留まるのかもしれません。
 9日間もの間留守を守ってくれた道場長、指導員の皆様ありがとうございました。
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by shinbu_369 | 2015-04-24 23:24
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 4月1日…本部・利府道場所属の村上宏義さんと共に成田で一泊し、2日・8時半、今回ドイツ合気会50周年記念ツアーを企画して下さった合気道研心会の畑山師範ご夫妻、研心会のメンバー21名と第一ターミナルで落ち合い今回は計23名での旅となりました。予定より若干遅れて、デュッセルドルフに到着。
 同機で到着の合気会本部宮本鶴蔵師範、小林弘明師範そして前日出発の小林保雄先生ご夫妻と空港で合流、浅井師範ご夫妻の出迎えを受け直ちにバスでミュンスターに向かいました。アウトバーンを走って1時間40分。目的地のホテルに午後7時少し前に着きました。
 ホテルのレストランで夕食を済ませた後、かるく一杯やろうと小林先生に誘われ、弘明先生の部屋で、宮本先生と4人でウィスキーの響(成田空港で10.000円で買って来られたそうです)を頂きました。
 色々な話に花が咲き、気がつけば響一本空になっていましたので、お開きとしましたが午前2時を回っていました。その後宮本先生の部屋で少し話しをして部屋に帰ったのが3時でした。村上さんが寝ているダブルベットの片隅に横たわりましたが、充分にいただいたアルコールのお陰で爆睡しましたので気にならなかったのが幸いでした。
 実はホテルで最初にちょっとしたハプニングがあったのです。チェックインした後、部屋に荷物を置いて直ちにホテルのレストランで夕食という段取になったのは前述の通りですが、部屋に入ると何とツインベッドではなく、ダブルベットではないですか。村上さんと私がダブルベットで寝るということになっているのです。夕食の前に部屋を変えるかベッドをどうにかして欲しいと言ったのですが、「今晩一晩だけそれで我慢してください。明日は改善します」ということで、ダブルベットで寝なければならなくなったということです。日本だと直ぐ何とかしてくれますが、外国は全くもてなしの心がありません。
 翌日は午前中今回の50周年記念の講習会のトップを切って多田宏先生の指導を受けました。中村天風先生、一九会などの理論に多田先生独特の理論を盛り込んだ講習会です。普通の日本人にも難解な言葉を通訳は訳しておりましたが、元々は東京で多田先生の門下生で、現在はドイツに住んで浅井師範の元で稽古しているという日本人の方でした。
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 2時間半の講習です。多田先生だけ特別なのかと思いましたが、ドイツでは普段の稽古は1時間単位ですがこの様な講習会では2時間半が普通なのだそうです。
 会場は体育館を借り切って畳を敷いています。ずいぶん広いと思い、係りの方に尋ねると約900畳とのことでした。今回の行事には約750名の参加者があるとのことです。
 一度ホテルに帰り、夕方から地元の合気道の道場を経営している道場長の招待でバーベキュー大会ということで日本人と地元の皆さんで頂きました。
 こちらは現在は夜8時頃までは明るいのです。
 ドイツ合気会30周年の時にも伺ったのですがその時は6月でしたから夜は10時頃まで明るかったような記憶があります。
 ドイツの周年行事に2回も参加したのは、ドイツ合気会を作られた浅井師範は明治大学の合気道部の先輩に当たるからです。
 23歳で単身ドイツに渡り苦労を重ねての今日です。今では門下生は約5.000人だそうです。時々帰国した時に話しを伺ったことがありますが、並大抵のご苦労ではなかったようです。
 バーベキューを頂きホテルに帰ってから、昨日の4人に畑山先生を加え私が持ってきた焼酎で今度は私の部屋で二次会です。
 お酒がほとんど飲めない村上さんは気の毒にウトウトしています。焼酎一本が空いたところでお開きです。午前の2時でした。
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 次の日は午前中はブラジルの西田師範、午後は畑山師範の講習会でした。夜は50周年記念祝賀会です。午後8時から始まるが、一切ツマミは出ないので夕食を済ませてから集まるようにとのことです。日本の祝賀会を想像したら大間違い。飲み物は自分で好きな物を購入し、適当な所で座ってめいめいに飲み始めます。多少セレモニー的なものは有りましたが、ステージもなくマイクを通して音声が伝わってきます。周りを何名かの方が取り囲んでいます。浅井師範が最初に挨拶をされた後、白川と呼び出されました。
 東日本大震災の時にドイツ合気会から東北連盟に多額の義援金をいただいていたのです。赤十字に寄付をしても何処に使われるか分からないので。直接被害を受けた合気道の皆さんのお役に立ちたいとドイツの人が言っているからということで、浅井先生から私に連絡があり、東北連盟に寄付をいただいたことがありました。
 そのお礼を一言述べて欲しいとのことなのです。
 そのための呼出です(もちろん前もって言われておりましたが)。4年前の御礼と東北連盟から預かって来たお祝いをお渡しさせていただき無事務めが果たせました。その後は祝辞があるわけでもなく、流れ解散です。早く帰る人もあれば永遠に残っている人も…日本から来た人も適当にバラバラとホテルに帰って行きました。私も宮本師範、研心会の金師範と11時半過ぎに帰って来ましたが、3人でホテルのバーでもう一杯と杯を重ねお開きは1時でした。翌日曜日は最後の行事です。午前中宮本師範、午後は小林先生の講習会、講習会を終えて、演武会です。最初に地元の方々が演武し最後に日本人で、最初に私が指名され、研心会の濱英之三段が受けを取ってくれました。続いて西田師範、畑山師範、宮本師範、小林師範、最後に今回の主役浅井師範が演武をされて全行事の終了です。
 翌日は観光に出掛けるため、ホテルを8時に出発です。同室の村上さんが4時頃から荷物の整理を始めたため目が覚めてしまいました。
 今回はずーっと村上さんとの同室でしたが、私が何時に寝ても村上さんは毎日朝早くから起きだし荷物をごそごそしておりましたので、ゆっくり寝ることは出来ませんでした。
 8時に浅井師範ご夫妻、この後ハンガリーに行かれる小林先生、イラン・ロシアに行かれる宮本先生等の見送りを受けて23名が観光に出発致しました。ロマンチック街道、古城街道を360キロ南下いたします。
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by shinbu_369 | 2015-04-20 19:25
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 五百川(イオカワ)君が入塾したのは、平成22年の暮れも押し迫った12月21日でした。
前週14日に初めて名取教室に来て体験し2回目に入塾しましたが、住まいは福島市だとのことです。よく話を聞いてみると仙台高等専門学校の1年生で名取市に毎日福島から通って来ているとのこと。何となく頼りなさそうなあどけさが残っている少年でした。無理もありませんまだ16歳なのですから。そんな子供のような五百川君が福島から電車で名取駅に来て、駅から学校まで自転車で通い、授業が終わってから自転車で名取市武道館まで来て合気道の稽古をして、また自転車で駅まで行って東北本線の上りに乗って福島まで帰るとのことでした。
 一年の中でも昼が一番短く、しかも自転車であちこちするにはかなり寒い季節です。こんな子供のような五百川君が厳しい環境の中で続けられるのかな?という不安な気持ちが私にはありましたが、本人がぜひ入塾したいと言うのですから、拒否することもありません。
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 しかし、翌週からは冬休みというかお正月休みです。翌年の1月11日から正式な塾生としての稽古が始まりました。週1回ですが3月8日までは一日も休まずに稽古に来ておりましたが、あの「3,11」の大震災。名取市も海岸を抱えておりますので甚大な被害を受けました。武道館も当然使用できません。
結局震災から2年以上、平成25年4月2日まで名取教室は武道館が使えなかったため休会せざるを得ませんでした。
 その間、名取教室の一般の部の方からは、「自宅とお母さんが流されたので当分お休みします」とか、「支店が無くなったので既に関西に引っ越してきていますので退塾します」とかの連絡があった塾生もいました。
その頃は塾全体でも、私自身も混乱していましたので、名取教室だけのことを考える事は出来ず全体で500名以上いた塾生が現在はどうなっているか見当もつかない状態が続いていました。
 五百川君も結局そのままお休みしておりましたが、5月の連休明けに仙台南道場に現れました。お父さんの仕事の都合で仙台に引っ越したとのことです。そして、名取教室から仙台南道場の所属に移動届を出して稽古を再開いたしました。
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 仙台といっても住所は落合です。私どもの教室がない所です。通うと言っても本当は大変です。高校生ですから車を持っていません。
 落合駅から仙山線で仙台駅まで来て、東北本線上りに乗り換え太子堂駅、そこから徒歩で15分~20分。普段の学校帰りは、名取駅から東北本線で太子堂に途中下車して仙台南道場に通っていました。
そのうち利府道場にも稽古に来るようになりました。仙台南道場は水・金・土・日が稽古日です。利府道場は火・木・土・日です。利府道場は仙台南道場よりももっと大変です。朝は落合駅から仙台駅まで来て乗り換え、東北本線上りに乗って名取駅で下車、学校まで自転車です。授業が終わり、東北本線下りで仙台駅まで、乗り換えなしでそのまま岩切方面に行く電車もありますが、本数は少ないのでほとんどは乗り換えです。仙台駅発の下り東北本線に乗って岩切駅で下車。
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 仙台駅からだけを考えますと、岩切駅も太子堂駅も東北本線で仙台駅から上りと下りそれぞれ2駅ですからそれほどの違いはなく、まあまあ便利なのですが、駅から歩くとなると岩切駅からは約4キロですから早足でも40~50分はかかります。何も持たなくとも大変ですが、学校帰りでは道衣と教科書などの学校の道具もあります。並みの大人でも大変です。少なくとも私であれば途中で挫折していたことでしょう。
 一般の部の方は自分が通いたいと思えば、ほとんどの方が車ですから荷物の重さも夏の暑さも冬の寒さも気にすることはありませんが、五百川君は電車を乗り継ぎしかも暗い道を歩きです。雨風の強い日などは大変です。それだけでもよほど強い精神力が必要だと思われます。五百川君の唯一の利点は高校生であるがゆえの比較的に時間的な余裕があることでしょうか。
 特別な事がある日とかテスト中などを除けば、ほとんど毎日のように稽古に通ってきました。この頑張りは特筆に値すると思います。仙台高等専門学校は5年生です。最終学年の昨年12月の誕生日には20歳を迎え、神武錬成塾の忘年会デビューも無事果たしました。
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 そして、先月15日の昇級昇段審査会で弐段に合格。25日の仙台南道場での稽古が最後となりました。五百川君が最後の稽古であると皆さんに声掛けをしたところ、平日の水曜日で年度末ということもあり、稽古の始まりは9人しかいませんでしたが遅れて来た人も徐々に増え、稽古の終盤は20人を超える人が集まりました。私どもでは昇段をした人、また特別な人が塾を去る時に盛大なお祝いをすることにしております。その日も稽古終了15分前に全員が丸くなって五百川君を囲み最初に私が10本連続で技をかけます。そして、塾生が次々に技をかけていきます。一通り終わった後は、次は五百川君が技をかけます。最初に私が連続10本受けを取り、次に塾生が受けを取ります。たっぷり15分使って終了。最後は全員の拍手です。これだけ多くの塾生に惜しまれてのお別れは初めてかもしれません。それだけ五百川君の人柄がよく、皆さんに好かれていた証拠でもあります。
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 稽古が終わり掃除も終えましたが、若手の皆さんは名残惜しいのか直ぐには帰らず次々と五百川君と稽古を始めたり、五百川君が休んでいる時にはお互いに投げたり投げられたり、さながら演武会前の真剣な稽古の様子を呈してきました。21時に稽古終了、掃除を挟みそこから永遠と23時近くになりましたが終わりそうにもありません。切りがないのと止めにくい雰囲気でもありましたから、「そろそろ終わりにしよう」とのわたしの声掛けでようやくお披楽喜と致しました。最後まで10人以上の方が残っていました。
「一期一会」、「逢うは別れの始め」といいます。何時までも五百川君を留めておくわけにもいきません。名残惜しいですがお別れです。彼ならどこに行っても立派な社会人となることでしょう。転勤の時にはほとんどの方が退塾していきますが、就職して落ち着き時間が取れたら時々稽古に来たいので退塾したくないという本人の希望で道場の名札はそのままにしておくことにしました。
 五百川君!! お疲れ様。社会人になっても体に気をつけて今までと同じように頑張ってください。五百川君ならどこに行っても皆さんにかわいがられることでしょう。
 五百川君元気で!! 頑張れ五百川君!!
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by shinbu_369 | 2015-04-06 23:46
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 平成20年夏ころ、ハンガリーの合氣道神武館道場のラスロ道場長より来年の寒稽古に指導に来てほしいとの要請を受け、翌平成21年2月に初めてハンガリーに出かけました。
 その時にはこの年1年限りだろうと思って行ったのですが、終了後ラスロ道場長に皆さんの評判が良いですから来年もぜひ来てくださいと言われ、その場で来年の予約をして帰国してきたのですが、それから毎年行くようになり、今年で7年になりました。
 最初の年は氷点下20度以上の寒さで大変な思いをしました。全室暖房の上に寒い時には部屋ごとにエアコンを入れ、それぞれ好きな室温に調節するのですが、朝目覚めるとエアコンが停止しているではありませんか。誰も部屋に入ってきた様子はなかったのですが……犯人は寒さでした。余りの寒さに室外機が凍ってファンが止まり、従ってエアコンが使えなくなっていたのです。最初の3年くらいはそのような寒さだったのですが、昨年は非常に暖かく行動が非常に楽だったのですが、本年は昨年以上に暖かく何と12度の気温の日もありました。私が来る1週間~10日ほど前には雪が40センチも積っていたそうなのですが。
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 温暖化のせいであるかどうかは私には分かりませんが、地球規模で何かが変化していっているように感じるのは、私だけではないでしょう?
 今回は遠藤駿君が同行したいとのことで一緒に行くことにしましたが、学生なので出来るだけ安く行きたいと私の便とは別で、ブタベストで落ち合うことにしました。私はウィーン経由で13時間、遠藤君は18時間かかるとのことでした。
 旅にトラブルはつきものといいますが、今回は私の不注意からちょっとしたトラブルがありました。ウィーンで乗り換える時に搭乗口の番号をボードで調べ、集合時間時間ぎりぎりに行くと(たいていは待たされることが多いので)、確かにブダペスト行きの時間が書かれておりますが誰もいません。カウンターに女性が一人座っているだけです。
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「何かで遅れているのだな」とっさに思ったのが間違いのもとでした。少し離れたところに行って座りiPadでインターネットを見たりメモに打ち込んでいたりしていたのですが、ひょっと時間をみると出発時間は過ぎています。何の放送もなかったなあと思いながら搭乗口に行くと、ブダペスト行きの掲示も消えております。カウンターに座っている人に聞くと時間通りに出発したとのこと。後で考えてみると、私が行った時に誰もいなっかったのは皆さん既に搭乗口から乗り込んでしまった後だったのだと気付きました。大失敗です。次のブダペスト行きのフライト時間を聞きましたが、分からないのでインフォメーションに行けというだけです。この辺りの対応は日本とは全く違います。そっけないというか不親切というか。
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 とにかくボードを見に行くと3時間後にありました。搭乗券を見せながら乗り遅れたので次の便でブダペストに行きたいと言ったところ、672ユーロ必要だがいいか?と聞いてくるのですが、いいも悪いもとにかく行くしかありません。ようやく次の便の搭乗券を手に入れ、次は遅れるという連絡をしなければなりません。ラスロ道場長、ゾリ道場長に電話を入れ、遠藤君に掛けましたが通じません。メールをしてもだめ。ようやくGメールで連絡が取れました。本来なら18時5分に着くはずが、ちょっとした不注意で到着したのが22時過ぎです。それでもその日のうちに次の便があったからよかったのですが、そうでなければ翌朝まで空港泊まりとなるところでした。ブダペストで無事ゾリの出迎えを受け、遠藤君とも落ち合いケチケメートのゾリの自宅に着いたのは0時近くになっていました。
 後はたいしたハプニングもなく、翌日は予定通りゾリ道場長の道場、澄明道場の名称を改めた「自然塾合氣道道場」で1時間半の指導。翌日エステルゴンに移動してラスロ道場長の「合氣道神武館道場」での寒稽古です。ハンガリーに来るのはこの寒稽古のためです。金曜日・2時間、土曜日午前中・2時間、午後・2時間、日曜日・2時間で合計8時間の講習会です。参加された国は、ハンガリーはもちろん、クロアチア、ポーランド、スラボニア、スロバキアの5ヶ国。参加者数は全部で57人(金曜日・43人、土曜日午前中・48人、午後・46人、日曜日・43人…8時間全部通しで受けた方は35人)だったとのことです。
翌月曜日は、ホシ道場長の修錬館道場で2時間と計11時間半の指導を無事終えました。
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 冒頭にも書きましたが、暖かくて大変過ごしやすい気温で助かりました。寒いと道衣の下にTシャツを着るのですが、昨年同様今年もTシャツを着る必要がありませんでした。
 毎年このくらい暖かいといいのですが……。
来年も来ることを約束し日時を確認して、ブダペストの空港までラスロ道場長に送られ(遠藤君のフライト時間は約8時間後なのでブダペストの街を散策するとのことでした)、ウィーン経由で帰国の途につきました。
◆ハンガリーの写真はこちら
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by shinbu_369 | 2015-04-01 10:27