b0212413_1444073.jpgホテルに着き、毎年夏合宿にあわせて作るオリジナルTシャツを配ります。そして、班・班長の発表があれば後は班長の出番です。
最初に班長会議を開き、塾長の挨拶と細かい事項の打ち合わせ。そこで班長は特に注意しなければいけない子どもたちがいる場合は指導員から説明を受けることになります。
班長会議が終わり、班長は自分のメンバーを把握することと次の予定を伝えることが最初の仕事になります。
また、班の子供たち(特に小さい子)は班長の顔と名前を覚えることからのスタートです。
若干の自由時間があり、夕食そして塾長講話と続きます。
毎年この「塾長講話」は年代の幅広い子どもたちに出来るだけわかりやすく「感謝」「規律」「助け合い」などのテーマで話します。今回はどうしても震災について触れないわけにはまいりません。難しいと思いながらも「命、生まれ変わり、輪廻転生、この世に修行にきていること」などを話しました。そして、これからの日本をよくするのも悪くするのも今ここにいる皆にかかっている。政治家にもなれるし、学者にも、教育者にも、ここにいる一人一人がよく考えてよりよい日本にしたいと思って生きていくことにより、10年後には今よりももっともっと住みよい日本になる可能性があることを話しました。
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その後は、花火を配る前に指導員、指導助手によるパフォーマンスがあります。子供たちが楽しみにしているものの一つでもあります。そして一人一人が花火を一袋もらい外に出ます。打ち上げ花火は危ないので指導員が行います。
80人以上の人たちが一斉に花火をするのですからあたり一面煙だらけとなります。今年は若干ガスっていましたが、雨が降ることもなく楽しい花火を終え、二度目の班長会議。
班毎に入浴をするための時間の打ち合わせがあります。
その後消灯までは自由時間。子ども達が一番楽しみにしている時間でもあります。
そして消灯。それからが大変です。多くの子どもたちは興奮しているのでなかなか寝ようとしません。班長は自分の班の子どもたちが何とか寝てくれないかと思うし、指導員は消灯後何度か各部屋を見回ります。
本当は班長自身がなかなか寝付けないこともあるのですが……
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どうしても寝られない人は、塾長の部屋に来てもいいですよと言いましたので、班長の何人かは塾長のいる部屋に実際にきました。
塾長は年配の指導員と共にビールを呑みながらお話しをしています。その傍らで上級生は話しをしたり、ゲームに興じたりしながら好きに過ごしていました。
ちなみに合宿は携帯ゲームの持ち込みは禁止しています。ですから個人でゲームをするのではなく、トランプなどで何人かと遊びます。こんなところでも遊びを通じて友人関係が作られれば良いなと思うからです。
若手の指導員はお酒を飲む人は少ないようです。特に門馬先生、竜次道場長はほとんどお酒が飲めません。
そして、合宿の申込書に、保護者からの要望の欄を設けておりますが、その要望に従って、夜中に起こしてトイレに連れて行ったり、薬を飲ませたりと人知れずの気苦労もあります。
ですから、毎年竜次道場長は夜はほとんど寝ていません。
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また、私を含め指導員は男性ですが、合宿には女の子も少なからず参加します。女性の視点で見ることは出来ませんし、細かい点にはなかなか気づくことも難しいものです。
その点今回も二人の娘さんと一緒に参加して下さった保護者でもあり、自身も泉教室で稽古をしている千葉さん。この千葉さんにはいつもお母さん役として、私たち男性に足りない所を補っていただき大変助かっています。
今回も女の子の部屋を回り声をかけてくださり、子どもたちを安心させたり実際に千葉さんの部屋で寝た子もいたようです。
そういう意味では、私がいくら力んでもたいしたことは出来ません。年配の指導員、若手の指導員、保護者、そして大学、高校の指導助手、班長など全員のお陰で毎年すばらしい合宿が出来ているのだと思わずにはいられません。
ほんとにありがたい限りです。
消灯22時。しかし……
なかなか寝付けなかった子どもたちも0時、1時となってくるとほとんどが眠りにつきます。いつもはそのまま起床時間まで眠る子がほとんどですが、何人かは、興奮しているのでしょう。起床時間前に目覚めてしまい、そのままおしゃべりをしていて同部屋の子どもたちにうるさかったと言われている子どももいます。
が、今年はほぼ全員熟睡していた午前4時少し前、3・11の余震なのでしょう。震度5弱の揺れがありました。それもかなり長い揺れを感じました。その揺れで目覚めた子どもたち、全く知らずに寝ていた子どもたちと色々です。
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私もたびたび余震に見舞われるものですから、震度5くらいでは驚かなくなってしまいました。また、山形の山の中ですから津波の心配をすることもないので、程なく収まった揺れに避難することもなく、子どもたちを起こすこともなくもう一度眠りについたのですが、日本列島は地震の活動期に入っているので、どこでどのような大きな地震が起こっても不思議ではないといわれています。このような行事を行うときには、いつもどう行動すればよいか常に考えていなければいけないと思いを新にいたしました。
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# by shinbu_369 | 2011-08-15 14:08
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本塾は「子供の部」の合宿を長年にわたって「春・夏」と年2回実施してまいりました。
本年の春合宿は3月26日~27日と実施する予定で準備を進めていた最中の震災。
残念ながら中止を余儀なくされてしまいました。
毎年春夏と連続参加している子どもたちは春合宿が中止になったため、特に今回の合宿を楽しみにしてくれておりました。
指導員10名、保護者・一般参加6名を含み、総勢85名での合宿となりました。
利府道場、仙台南道場、泉武道館、大河原武道館の4ヶ所からマイクロバスで山形に向かいました。
今年は「山形県総合運動公園」の武道館をお借りいたしました。
12時から会議室をお借りしてお弁当をいただき、13時から2時間の稽古をいたしました。
昨年は3時間の稽古をいたしましたが、あまりの暑さに多くの子ども達がダウン、見学ということになりましたので、今回は2時間といたしました。
6月下旬から7月中旬にかけて昨夏と同じように連日30度を越える暑さが続きましたが、台風を境に一転梅雨期に入ったかを思わせる天候。
決して涼しくはありませんでしたが、昨夏のようなことはなく誰一人脱落者もなく、充実した稽古が出来ました。
しかし合宿ということを考えれば、昨夏ほどの暑さでなければ、もう少し時間は長くてもいいと思いました。
公の武道館をお借りするためには、何ヶ月か前に申し込みをしなければならず、天候によってその場で時間を調節出来ませんので、暑いから短めに、涼しいから長めにということが出来ないのが残念です。
稽古を終えて蔵王温泉の「ホテル樹林」さんで宿泊いたしました。
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毎年、春は宮城蔵王と決めており、夏はどこかに遠征するということで毎年場所を変えていましたが、道場探しと定員の壁がありますので、場所探しは容易ではありません。定員を考えなければなりませんので(バス、宿泊所とも)先着順に受け付けます。そのため、毎年何人か断ることがありました。
その点、樹林さんは何名でもOKですし、人数に応じてマイクロバスを出して下さるので安心して募集することが出来ます。ここ4年ほど同じホテル樹林さんでお世話になっております。
ホテルに着いてすぐ、班と班長の発表。グループに分け班長が責任を持って班をまとめる方式をとっています。従って、合宿中は何度も班長会議を行います。それにより上の子が下の子の面倒を見、下の子は上の子をお手本にするという縦の関係を学ぶことが出来ます。
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最近の特徴として、以前はほとんど小学生ばかりでしたが、小さい子供さんも随分少なくなり、中学生になっても合宿に参加してくれる子どもたちも増えました。今年は中学生が17名(男14、女3)参加いたしました。
したがって、以前は6年生が班長でしたが、最近は中学生の班長もかなり増えました。
高校生(3人)、大学生(2人)になっても参加してくれる子どもたちもいますが、その子たちは「指導助手」として積極的に指導員のお手伝いをしてくれています。
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# by shinbu_369 | 2011-08-06 11:34
本年度も2月末に例年と同じように4月から毎月たくさんの予定を組みました。
そして22年度の行事は、3月に行われる「一般部の昇級昇段審査」、「親睦会役員会」、「神武錬成塾指導者会議」、「子供の部春合宿」を残すのみになっていました。
そこにあの思いもよらぬ3・11大震災。
被災地にいた全ての人は時間の長短はあっても一時、時間が止まっていたのではないでしょうか?
内陸に住んでいる私には地震→津波という頭は全くありませんでした。
全てのライフラインは止まりましたが、あれほどの惨事になっているとは思いもよりませんでした。家の中では、本棚、額などの割れたガラスの破片が危ないので草履を履いたまま、最初に台所と寝る所だけを確保し、ローソクの灯りをたよりに大げさに言えば震えながら一晩を過ごしました。(地震直後から雪が降り出し大変寒い日になりました)
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翌朝の新聞・河北新報が1枚だけ届き、地震そして津波の報道が大きく取り上げられていましたが、あのような大惨事にはまだまだ気づいていなかったというのが真相です。
電気が復旧するまで、全員家の中でも(もちろん畳の上も)草履かスリッパを履いて動いていました。
道路はアチコチ亀裂が入り、信号機が止まっているので車を走らすには非常に神経を使います。
たまたま、家には食料が何日分かありましたのでしばらく買い物には行きませんでしたが、後で知り合いに聞いた話しですが、スーパーに買い物に行けば長蛇の列。5~6時間も並んだあげく、一人一袋400円分(パンとお菓子が数個)だけ買うことが出来たそうです。
4~5日たって電気だけ復旧し、少しは人も動き始めました。大通りの信号機は回復していますが、まだ脇道は信号機が止まったままの所も多く、何よりもガソリンがありません。
私のところの団地は夜ガソリンスタンドから片側駐車で何キロにも亘って何百台も並んでおりました。後で数えておけばよかったと思いました。それが何日も続きましたが、果たして全部の車にガソリンがいきわたったのかどうか?
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その後のことは、様々なメディアや報道が語っていますが、私のところの塾も17教室すべて休会となり、3月27日にようやく3教室だけ開くことが出来ました。
また、3月から現在まで計画していたほとんどの行事を中止といたしました。
その後少しずつ教室を再開することが出来、7月7日現在代替教室を含め13教室[1ヶ所は閉店(カルチャー教室)し、亘理教室、名取教室、原町教室の3ヶ所だけが未だに休会中]が通常の稽古に戻りました。
震災前の塾生は約500名いましたが、大変残念ではありますが現在様々な理由で約4割の塾生が休会中であり、実際に稽古に来ている塾生は300名となってしまいました。
そのうちの何割の方が復帰してくれるのでしょうか?
理由が理由だけにもう復帰は難しいかもしれません。
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私の師匠、小林保雄先生が提唱される「一人でも多くの人に合気道を!」の実践を再び一から実践していかななればければならないと心に誓っています。
そして、そろそろ行事も通常に戻す時期にきているのかとも思っています。
今月は、「2回の知的障害者合気道教室」、「昇級昇段審査」、「子供の部・夏合宿」も計画しております。そして、可能な限り通常の状態に戻していくつもりでおります。
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# by shinbu_369 | 2011-07-06 16:41
3・11大震災後、二ヶ月たった頃から河北新報に訃報広告が頻繁に掲載されるようになりました。
複数のお名前が掲載されている場合はすべて震災によりと書かれています。二人連名、三人連名もほんとに多く見られましたが、中でも一番悲惨に思われましたのは、「父・母・妻・長男・次男」を亡くされた喪主の方です。心中いかばかりかとお察し申し上げるほかにはありません。
私のところの塾生も震災後、家とお母さんを流された、お祖父ちゃんを流された、祖父母の家が流された、会社が無くなった、支店がなくなり転勤した、会社の再建が危ぶまれリストラにあった、車を流された、一階部分が浸水し未だに二階に住んでいる。避難所に行ったのはいいが、一週間はおにぎり一個とパン一つしかなく痩せてしまったなど等……震災にまつわる不幸な話は一杯伝わってきました。
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ほんとにその都度涙なくしては聞けないものばかりです。
が、このたびもっとも衝撃なことをお聞きしました。小学2年生の女の子Wちゃん。
 4歳のときに塾に入り、喜んで合気道の稽古をしていたWちゃんですが、震災前の2月お母さんから電話が入り、親(Wちゃんのお祖父ちゃん)の痴呆が激しくなり一時も目を離せないので合気道の送り迎えが困難になったとのことで、落ち着くまで退会したいとのことでした。「退会しなくとも落ち着いたらまた来られるように休会にしておいたらどうでしょうか?」と言ったのですが、「落ち着くまで何年かかるか分かりませんので一度退会します」とのことでした。もちろん「落ち着く」ということは「死」を意味しますから、早く復帰してくださいとはいえません。「早く復帰できると言うことは早く死んで」ということになってしまいますので、分かりましたとだけしか答えることは出来ませんでした。
 そして、あの大震災。Wちゃんの住まいは津波にあった亘理町の荒浜です。心配をしていましたが、避難所でWちゃんの姿を見かけたという人がいましたので、まさか小学2年生の子供が一人で避難所にいるはずはないので家族の方と一緒に避難しているものとばかり思っていました。
 ところが、最近教えていただいたのですが、「お祖父ちゃん、お祖母ちゃん、お父さん、お母さん、妹さん家族全員」が津波に飲み込まれ、学校にいたWちゃん一人助かったのだそうです。そして中国地方のお母さんの実家に引き取られて行ったというのです。お母さんの実家ということは先方にとってはかわいいお孫さんですから、おばあちゃんの家に引き取られたのであればかわいがってはもらえるでしょうが、Wちゃんの心の奥にとてつもない悲しみのトラウマがいつまでも残ってしまわないか、可哀想なんて一言で片付けられない何ともやるせない思いです。
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 財産(物質的な物)でも宮城県の瓦礫は通常の23年分だそうです。今瓦礫を撤去していますがほとんど片付いていません。これには行政の予算のつけ方がよくないように県知事は発言しております。国でお金を出すのだがそのやり方が市町村にとってはとてもやりづらいとのことですし、目に見えないところに片付けるまでに3年、実質的に片付くまでには何年かかるか分からないと見通しが全く立っていません。3ヶ月近くたってもこれでは被災者はどうなるのでしょう。
そして全国に散らばったこのような悲惨な方たち、また原発で苦しんでいる福島の方々も全国に散らばっていることでしょう。このような方々の心のケアを国は真剣に考えているのでしょうか。
 こんな話しも聞きました。ある避難所に100人いた、そしておにぎりが80個しか届かなかった。これでは一人一個当たらないから配るのはやめて持ち帰り結局腐らせて捨ててしまったとのことです。こんなことはブラックジョークであって欲しい。しかしこれが現実、残念ながら事実だそうです。
 日本人の我慢強さが外国で賞賛されています。数が足りなくて行政がうまく分けられなくとも、本日はこれだけしかおにぎりがありません。ここにおきますから皆さんで分けてくださいと言えば、被災者同士がうまく分けるでしょう。決して取り合いの喧嘩なんかするはずがありません。しかし、行政は不平等なことはできないといってお腹のすいた被災者を目の前におにぎりを持ち帰って結局腐らせてしまったということです。
 この持ち帰った職員も他の所でそんなことが有ったと聞けば何を馬鹿なことをしているのだと思うでしょう。が自分が同じ立場になったとき、一部の人の非難を恐れて結局このような態度を取ってしまう。今日の日本の悪い平等思想に行政はにっちもさっちも行かない状況に置かれているのです。個人個人はほんとに優れているのに、とても残念なことです。
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 昨日の「内閣不信任案」に対する民主党の内紛、どたばた劇、あきれてものもいえません。口を開けば国民のためと言っていますが、ほんとに国民のためを思っている政治家は何人いるのでしょう。
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# by shinbu_369 | 2011-06-03 15:44
 3・11からはや二ケ月。
 地震、津波、原発、風評被害、何重にも苦しんでいる方がいる。
 5月11日現在、死者…14,981人、行方不明者…9,853人、避難者…115,098人。
 学校は200校以上が全壊して授業の再開の見込みが立たず他の学校で間借をしている状態、東北地方の7路線も全く復旧の見込みが立たない。
 テレビに映し出される光景は目を覆うばかり。しかし、実際に被害状況を見た方の話ではテレビの映像などはまだまだ悲惨さを全て映し出されていない……
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 悲しい現実を見聞きするたびに涙腺が緩んで仕方がありません。すぐ涙が出てきてしまうのです。年を取る・年齢を重ねるとはこういうことなのでしょうか?

 インターネットで大震災関係を調べていましたら、
 「産業技術総合研究所の宍倉正展さんは、平成16年…宮城、福島県の沿岸の地層をボーリング調査で解析し、貞観地震の津波が運んだ砂の層の分布から津波の到達域を特定。太平洋沖を震源とする巨大海溝型地震が、大規模な津波を起こしたことを突き止めたそうである。
 貞観地震とは、869(貞観11)年に東北地方を襲った巨大地震・津波であり、その実態を解明し、「規模はマグニチュード(M)8・3より大きい」と推定。ボーリング調査では、東北地方は500~1千年の間隔で、繰り返し巨大津波に襲われていることも判明した。
 また、別のグループ、東北大学大学院理学研究科箕浦幸治教授は今村文彦災害制御研究センター教授と共同で、津波の堆積物で放射性炭素を用いて年代を測定したところ、過去3000年間に3度、津波が溯上したと試算された。これらのうち先史時代と推定される2つの津波は、堆積物分布域の広がりから、規模が貞観津波に匹敵すると推察される。
 津波堆積物の周期性と堆積物年代測定結果から、津波による海水の溯上が800年から1100年に1度発生していると 推定された。
 1990年「東北日本における巨大津波の発生と周期」、2000年「貞観津波堆積物の発見とその意義」、などの研究により、貞観津波の襲来から既に1100年余の時が経ており、周期性を考慮するならば、 仙台湾沖で巨大な津波がいつ発生してもおかしくないと警鐘を鳴らしていたが、東大の地震学者、命よりコストを重視する電力各社ならびに経済界、それと一心同体の政府、なにも考えず盲従する支持者、マスコミ関係者などはそれを黙殺したのであるから、まさしく人災と断じても良いと思う。」
 以上のような情報がありました。
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 しかし、マスコミに派手に取り上げられようと、いかに警鐘を鳴らされようと一般の私たちも素直に聞いたとはとても思われません。
 千年に一度大地震が起こり、大津波が来るといわれても現実とは捉えなかったでしょう。それだけ人は「喉元過ぎれば…」ではないでしょうか。千年に一度というあまりにも現実離れした話です。が、そうではありませんでした。現実に起こってしまいました。
そして、悲惨なことは同じですが、過去に比べて今回は原発という厄介なものを抱え込んでいます。 住み慣れた土地から「強制退去」という現実。
 どのように対処していけばいいのか? ほんとに出口が見えません。
 でも、残された…生き残った私たちは生きていかなければなりません。
 「起こってしまった事、今後起きることは全て理由がある。人類がより良い社会を構築する上で必要なことである」という捉えかたがあります。
 そうであれば、被害にあった方には大変申し訳ないことですが、大自然からの何らかのメッセージが含まれているはずです。
 幸いにも生き残った私たちにはそのメッセージを考え続けていかなければなりません。そうでなければ多くの方の命は報われません。
 死ぬまで今回のメッセージを日本人だけでなく、世界の全ての人々が考え続けていかなければいけないのかもしれません。
3・11を境に世の中は「確実に変わった」と言われています。
 この未曾有の災害を考え続けることにより、よりよく変わっていって欲しいものです。
 多くの最近の日本人は確かに過去の日本人ではなかったように思います。異質なものに変わろうとしていたように思います。
 それがこの3・11により過去の日本人のより良きDNAが現れつつあるようにも思われます。
 復興に向かっていく途上で私たち一人一人の日本人がもう一度深く考えなければいけないことだと思われます。
 そうしなければ今回被害にあわれた方々が安らかに眠ることは出来ません。
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# by shinbu_369 | 2011-05-13 01:17