ライフラインの中ではまず、4日目に電気が復旧し、水道も約一週間で出るようになり後はガス待ちでありましたが、度重なる余震のためか3月19日に再び断水、これは幸いにして2日くらいで回復しましたが、ガスは約3週間ストップしたままでした。
ようやく全てが回復したのが、4月4日。
当初ガスの復旧は早くて一ヶ月といわれていたものが、全国からガス業者の方々が多い時で4500人も応援に来て工事を急ピッチで進めてくださったお陰です。
ニュースでは、応援に来てくださった方が「同じガス業者として何日もガスが供給できないということを見過ごしておくのは忍びない、心苦しい…」と言っておられました。
職人さんではありませんが、日本人の職人魂を見た思いでほんとにありがたさで一杯でした。昔は一人一人がこのような日本人ばかりだったのでしょう。この未曾有の災害により多くの日本人がよきDNAを取り戻したように思われます。
ライフラインが全て復旧し、後片付けも進み家の中もほぼ元通りに整理した4週間目の4月7日の夜、再び震度6強の地震に見舞われました。
3・11の本震よりも時間は短かったですが、ある意味揺れは大きかったかもしれません。
せっかく片付けた物が見事に前以上に崩れてしまいました。

夜中の11時32分の出来事です。幸い私の家ではまだ全員が起きていました。
寝室では私のベッドの上にタンスが乗っかっています。タンスといっても小さな高さ65センチのものです。作り付けのタンス(高さ90センチ)の上に置いていたのですが、ベッドとは約一メートル離れていますので、ごろんと転がり落ちたのでは絶対にベッドの上に乗ることはありません。きっと空中を飛んで落ちたのでしょう。寝ていれば死んではいないでしょうが怪我をしていたのは間違いのないところでした。
そして、再びローソクの生活に逆戻りです。

利府道場も停電、断水で稽古を再開したのに再び何日かお休みしてしまいました。
本震一ヵ月後の4月11日の河北新報によると、10日までに震度4以上の余震は94回、有感余震は1220回を数えるそうです。
そして、今も日に何度も不気味に揺れ続け、たまに震度4とか5とやや大きめの余震が続いています。もういいかげんにしてほしいと思うのですが、まだまだマグニチュード8クラスの余震がいつ起きてもおかしくないと専門家は言っています。